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| 今回の研究会テーマは、『ライプチヒの音楽』 "Takahiro Sonoda plays LEIPZIG"と題し、園田高弘先生によるブリュートナーピアノの演奏で、ライプチヒの音楽を検証致します。クリストフォリから始まったピアノは、ドイツ人ジルベルマンの手により開花したといえるでしょう。ピアノはD.スカルラッティ、J.S.バッハ、ヘンデル、ハイドンらの古典音楽に多大な影響を与え、クレメンティー、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらが多くのピアノ音楽を作曲しました。時を同じくしてピアノ製作家が腕を競うが如く表れ、ロンドン、ヴィーン、パリへとヨーロッパ各地を拠点とし製作しました。ドイツ国内でも素晴らしいピアノが各地で製作され、音楽史上に燦然たる輝きを残してきています。現在ロマン派音楽と云われるメンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト、ブラームスらが築き上げた音楽表現の源を考えるとき、ライプチヒを抜きには語れません。そしてライプチヒで育まれたピアノ製作家ユリウス・ブリュートナーを登場させなければなりません。 ザクセン州ライプチヒ。ドイツ東部に位置するこの街は古くから商工業の中心として栄え、人々の活発な営みで賑わいをみせました。ヨハン.セバスチヤン.バッハが、トーマス教会のオルガン奏者として、教会少年合唱団の合唱長(カントル)兼市音楽監督としてライプチヒを訪れたのは1723年、38歳の時です。以後27年間にわたり、≪マタイ受難曲≫他多数の作品をこの地で残しています。1843年、メンデルスゾーンはザクセン王の出資を得てドイツ最初の音楽院(Die staatliche Hochschule fur Musik, Leipzig)を設立し、シューマンらと教授を務める一方、民間オーケストラのなかで世界最古のゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めました。歴代の指揮者にはニキシュ、フルトヴェングラー、ヴァルターらが名をつらねています。また、ヴィーク家の存在も忘れることはできません。天才少女の名を欲しいままに、シューマンの妻として、若き才能ブラームスの良き理解者として、後のピアノ音楽に多大な影響を与えたクララ・ヴィークは、1819年高名なピアノ教師フリードリヒを父に、ピアニスト マリアンネを母にライプチヒに生を受けました。ショパンは1835年、ドレスデンからの帰路ヴィーク家を訪ね、メンデルスゾーンはじめシューマン、クララらと深い親交をもつ事になります。音楽史を学ぶうえで避けることのできない街でありながら、ヨーロッパ大戦後永らく鉄のカーテンに閉ざされてしまったライプチヒ。今回は、ライプチヒの響きを音楽家と共に奏でてきたBluthner Pianoの演奏で検証してみます。ブリュートナー社(Julius Bluthner Pianofortefabrik GmbH)は、優れたピアノ製作家ユリウス・ブリュートナーにより、1853年ライプチヒに創業されました。高音部にアリコート弦として打弦しない4本目の弦を有し、響鳴板の形状や独特なハンマーヘッドの裁断等、多くの試行錯誤を重ねつつ、ロマンチックとも形容される独自の響きを醸しだしています。1867年パリ博、1873年ヴィーン、1880年シドニー、1881年メルボルン、1905年ケープタウンの各博覧会でファースト・プライズを受けました。西側の競争経済と交わる事も少なく、創業時の響きを今に伝えるメーカーのひとつでしょう。今回使用します1916年モデル(♯95005 233cm)は1900年パリ、1904年セントルイス、1910年ブリュッセルで、グランプリを受賞した記念として製作された数少ない記念ピアノです。東映映画「わが愛の詩(うた)滝廉太郎物語」にも登場しました。 |